私の家族はO型-プーケット海外生活

プーケットで生活するタイ人の夫、娘、息子、私の4人家族の日記です。

プーケットで就職活動

私は、海外で働きたいという夢をいだき、プーケットで住むということは決まりましたが、まだ、就職先が決まっておりません。

これでは、夢が叶ったということにはなりません。

16年前の2001年は、日本人のお客様も多く、日本人スタッフを雇いたいというタイの会社やホテル、スパなどあったと思うのですが、現地で見つけてと思っていたのが、あまかったです。

実は、リクルートスーツを着て、ホテルでまず就職活動。

実は、英語は少ししかしゃべれない、タイ語なんて全然しゃべれないレベルで甘すぎました。

ホテルに尽く断られました。
タイ人スタッフとコミュニケーションが取れない・・・

それから、足が・・・
私、車の運転できないし、バイクの運転もできない・・・
職場まで行く足がない。

当時、繁華街のパトンエリアには募集しているところがありました。

ホテルではないのですが、そこで一件だけ拾っていただいたところがあります。
日本料理屋です。

うちの前をレストラン専用の車が通るので、それに乗ってくるように言われました。

海に面している「日本料理 TODAI(灯台)」というレストランで、ホステスつまりお客様セールス係として雇っていただけることになりました。

日給は、いくらだったでしょうか?覚えていません。

私の他は、もちろんタイ人スタッフ、ホステスは私の他に2人いて、お客様にメニューの説明をします。外で・・・・

暑いんダーーーーーーーなこれが、着物着てやるんですよ。
他に日本料理屋さんなんてないから、結構、お客さんがいました。

夕方のシフトで入って、着物姿でほぼ立ちっぱなし、暑い、足が棒。
私は、ウエイトレス経験者だったので、ちょっと物足らない。
動きたいんですよ・・・
そのバイトは、1週間ほどで辞めてました。

タイでは当たり前なのでしょうか?1週間働いた分の給料もらえませんでした。
もちろん、私はタイ語がしゃべれる訳ではないし、拾ってもらったので、強くはいいませんでしたが・・・

 

日本人が既に何人もプーケットに住んでいたので、お友達になって、就職情報集めからしました。

どこどこの日本人スタッフが辞めたから、空きが出ているという情報を元に、聞いていき、スパで空きが出たということで、電話して面接に行くことにしました。

社長と面接です。
そうしたら、その女性の社長、驚いたことに日本語しゃべれるんですよ。
元日本語ガイドさんで、どこかの旅行会社で仕事をしていたようです。
私は、英語が少し、タイ語は全くしゃべれません。
と正直に言うとタイ語は、毎日タイ人スタッフと話していたら、しゃべれるようになるから大丈夫ということで、こんな私を採用してくれました。

職種は、スパでのゲストリレーションです!

いやーーーラッキーです♪ なんて心の広い人なのでしょう。

タイ人スタッフも英語のレベルは、私と同じくらいで助かりました。が、セラピストとはタイ語で会話をしなければなりません。

当時人気のタイ語の指差し会話帳を片手に書き込みをしたり、自分流に発音記号をつけたり、独学でタイ語を学びました。
 ↓ これです。

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無料で、まわりにこんないい先生がいっぱいいますから。
以前、私はカナダに英語留学をしたのですが、学校にはほとんど行かずに、一人ふらふらと街に出て、現地の人と友達になったりしてたんで、そっちのほうが自分にとって勉強になりました。
自分には座学は無理っていうのがわかってたんですね。

スパで働くようになり、スタッフのお陰で3ヶ月で耳が慣れ、6ヶ月後で会話が少しできるようになりました。

お客様の接客をした後、セラピストにここはマッサージを強めとか、怪我をしてるので、マッサージをしないでということもタイ語で伝えることができるようになり、お客様に喜んでいただけたり、スタッフとの会話も楽しくなりました。

タイ語ができるようになれば、スタッフとの会話も弾み、一緒に遊びにいったり、ご飯を食べたり、楽しかったです。

仕事は、基本9時から18時までですが、スパでのお仕事ですから、夕方からスパを受けるお客様もいます。繁忙期でお客様がいっぱいの時もあります。
ですので、22時に帰るときもありましたし、最高で夜中の1時に帰ったこともありました。

身体は疲れているのですが、ウエイトレスと同じようなスパでのオペレーションが好きで、どうやったら今日のこのたくさんのお客様を乗り切るかなど考えているとウキウキしてきます。

スパのお仕事は華やかにみえて、接客するだけだと思いますが、そうではありません。

繁忙期の時には、マッサージルームが満室、セラピストの不足などあり、裏方の仕事もあります。
マッサージルームが何時に空くのかセットをしなくてはいけません。(ホテルの空き室のチェックと同じでしょうか)、それから、セラピストの手が空くのは何時のなのか、マニュキュアのコースの場合は、ネイリストが足りているのか?など、お客様にご迷惑をかけない、お待たせしないオペレーションをしなければなりません。

あるとき、ローシーズンになって、暇になり、外部からマッサージの先生を呼び、講習会がありました。
その時に私もやりたいと言ったら、快くオッケーを出してくれて、マッサージの講習会に毎日参加して、実は私は、タイのですが、オイルマッサージ、スクラブの免許を取得しました。

やはり、スパで働いていて、自分ために何か残したいと思って、資格を取ることができました。

当然、免許があるので、セラピストが足らないと、資格のある私とマネージャーの出番です。
日本人のマッサージもやりましたし、韓国人、中国人のマッサージもしました。

韓国人のお客様の3時間コースをやったこともあります。
チップも10ドルほどいただいた記憶があります。

結局アシスタントマネージャーまでいったのですが、娘を出産して、復帰をしたのですが、娘が1歳になったときに、私のことを「パパ」と呼んだ・・・・

このショックで、娘といる時間がほしいと思い、退職しました。

そのあとは、ハーブショップで店長として働き、2017年11月30日に念願の自分のお店「タイ雑貨&アロマショップ」をオープンすることができたのです。

 お店の名前は、娘のタイの名前をとって「ゴチャパン(Gochapan)」

ホームページもありますので、ご覧くださいね。

 

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プーケットで出産

私は、子供が2人います。

2人ともプーケットで産んでおります。

そして、自然分娩で産んでおります。

 

一番最初にクリニックに行ったのですが、その先生結構脅すんですよね。

初産じゃないですか・・・

あなた、35歳ですね。

高齢出産となりますので、羊水検査をしてください。

羊水検査は、○○○○バーツです。

クリニックでは出産できませんので、出産特別料金が発生していくらです。

出張料でしょうか?

とにかく、ビビらせるようなこと、料金のことばかり言ってそのクリニックは一度だけ診察していただき、情報を集めることにしました。

しかも、タイ語で説明されて不安で不安で・・・

プーケットに在住でこちらでご出産した人に色々聞いてみました。

そこで、アンケートをとった結果、あまり高くない、しかもちゃんとした医療の受けられる、ミッション病院という私立の病院に決めて、お医者さんの名前もしっかり聞いてきました。

ミッション病院の産婦人科のキティパン先生という男性のお医者さんです。

初診の時、クリニックで言われたことを聞きました。

「あっそれね。血液検査でだいたいわかるから、まずは血液検査をしましょう。それで何か異常が出たら、羊水検査になります。」

まだ、羊水検査すると決まってないので、ここでは特別出産料金は必要ありません。

全てパッケージに含まれております。

パッケージ?

旅行気分?

料金は、この先生は言わずに受付で聞いてくださいと言われ、またこの先生さばくなと思いました。

ご自身の仕事は、料金を妊婦に伝えることではなく、妊婦さんを以下に不安にさせないかと常に私の名前で呼んでくださいました。

受付で料金を聞きました。

 

自然分娩のときは、2泊3日で、18000バーツ

帝王切開のときは、3泊4日で、36000バーツです。

日本に比べたら安いですね!

しかも安心できるお医者さんで、ここに決めた!ということで、ミッション病院に決めたわけです。

信頼できる先生がいて本当によかったです。

血液検査は、問題もなく、羊水検査ももちろんしませんでした。

毎回の尿検査はしますが、たまにエコーで胎児の心音を聞かせてもらいました。

5ヶ月目、こちらでは、女の子か男の子かを聞くことができるのです。

女の子でした!

うちの旦那の実家は大喜びです。

特に旦那のお母さん、孫は男の子ばかりでしたらので、女の子がよかったようです。

9ヶ月目、全く陣痛がなく、いついつまで兆候がない場合は、陣痛促進剤を打ってから出産となります。ということで、陣痛とか破水とか何もないので、決めた日の夜中に入院しました。

お医者さんの話では、胎児の頭は下になっているので、自然分娩で行けるでしょういうお言葉をいただきました。

夜中の11時に入り、まず、浣腸して排泄物を全て出します。

本読みながら、出産の仕方でもとのんきな私だったのですが、本は全部没収です。

呼吸法どうやってやるんだっけ?ひっ、ひっ、ふー?

吸うのはどっちだ?

この後、水も食べ物も禁止です。

浣腸すごいですね。すぐにトイレへ

そして、看護士が来て、剃毛します。

そして、心電図見たいのを取り付けられます。

胎児の心音を測る機械です。

いつ、陣痛促進剤打たれたのかわかりませんが、朝、7時頃徐々にやってきました。

これが、陣痛というものですね・・・

最初は、30分に一度ぐらいのペースで痛さが短く襲ってきます。でもそこまで痛くないです。

途中、子宮がどれくらい開いたかどうか看護士のチェックが入ります。

子宮が10cm開いたら、分娩室に行けますよ。

うわっ、まだまだです。

そのうち、どんどん激しくなってきました。

10分に1分襲う、強烈な痛さ。

ハンマーで何度も腰を打ち付けられた感じでしょうか?

みるみるうちに万床になってしまい、すごい妊婦の数です。

今日出産する人すごいいるな、これは、分娩室取り合いだなと思いながら、

陣痛の間、膀胱も圧迫されるので、トイレに行きたくなります。

でも、立ち歩いてはいけないので、オマル?簡易式の便器をもってそれでトイレです。

出たのか、出てないのか、妙な感じで。

次第に3分に一度に襲ってくる痛さ、痛さも時間測ったら1分。

これは、耐えられない・・・

この日は、分娩室の取り合いになる。

分娩室争奪戦です。

分娩室に入ったら、30分は出てこないと予想される。そして、分娩室の次の妊婦の準備などあるだろうから、45分間は、この痛さに耐えなければいけない。

痛いけど、しっかり計算づくでした。

こんな痛さ、あと45分耐えられなーーーーーーーい。

次の人が出てきたら、もうだめっと言ってしまおう!

ずるい私・・・手を挙げたモン勝ちでしょ。

おっ、分娩終わった人が出てきた。

「もう私、ダメでーーーーーーす。」

看護士が、えっ、まだあなたの子宮8cmしか開いてないけど、10cmじゃないし、

「いやいや、本当に無理です。」

寝ていられる状態はきついです。半分起きている状態が一番楽なんですよ。私、ほとんど座っている状態が多くて、何度も看護士に注意されましたから・・・

看護士が車椅子に乗せて、分娩室上がって、ここ握ってと指示があり、分娩台に上がった時、この分娩台すっごい冷たい、ひえー

助産婦さんが、呼吸法を教えてくれました。

タイ語バージョンもあったのでは?

いきむときの声かけを助産婦さんが一緒にやってくれます。

何か、切りましたね?

会陰です。

分娩台にのぼっていきんでいる時には、お金のことしか考えていません。

だって、36000バーツなんてありませんから、18000バーツでなんとかしなければいけません。

これで、出産できなければ、急遽帝王切開です。嫌です。お金が足りません。

全然出てこないのか、最後に先生がお腹の上に乗ってくれて、プルっと出ました。

分娩室に入り、約20分後に出産です。

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そのあと、まだ終わっていないよということで、胎盤を出します。

そして、会陰した部分を縫っています。

出産したら、しばらく担架で放っておかれました。

1時間は、安静ということでしょうか?

私の母親がわざわざ日本から来てくれていて、ずっと病院にいてくれました。

その日は、韓国人の人やら、フィリピン人の方やらいて、母は待っている間に友達になれたようです。

 

出産のときに、旦那いませんでした・・・ち━━━━!!ーん

看護士に出産は15時頃になるからと言われて、洗車しに行ったらしいです。

旦那が「病室に来て、帝王切開だってな」っていうんで、誰のこと?

自然分娩だけど・・・

えっ?病院から電話あって、奥さんもう我慢できなくて帝王切開だからって看護士が言っていたと。

看護士もてんてこ舞いだったのでしょう。

あの人数の妊婦。誰が誰だか分からなくなっていたのでしょう。

個室の病室で、ゆっくり休めました。

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出産後は悪露という出血がすごいですので、ナプキンをもらいます。

 

こちらでは、生理用のパンツは履かずにそのままナプキンを当てます。

まず、ゴムをウエストに通して、そこに引っ掛けるところがあるので、ナプキンの両側にある穴に引っ掛けるという感じで、ふんどしに近いでしょうか。

看護士が何度かやってきて、会陰した患部に遠赤外線を当てます。

 

翌日と翌々日に渡って、沐浴練習、母乳のあげ方、おむつの替え方を練習します。

帝王切開の人は、大変そうでした。

お腹切ってますからね。

麻酔が切れたら本当に痛いのでしょう。見ていて痛々しいです。

私は、自然分娩でしたが、会陰をしてましたから、座るときに痛いのです。

ですので、ドーナツ状のクッションを持って行ったり、バスタオルでドーナツ状のクッションを作ってあげるといいですよ。

娘は、黄疸でもう一日様子を見ると言われ、私だけ先にお帰り?

寂しい・・・

私の働いている社長さんが、お見舞いに来てくれて、入院費と出産費を全て出してくれると言ってくれて、私ももう一泊できることにしてくれました。

ありがとうございました。社長!

 

 

自己紹介

私の履歴について書こうと思います。

小学校、中学校、高校は公立の学校を卒業して、大学は、浪人1年して私立の大学を通い、なんとか教員免許を取得して、卒業できました。

第二次ベビーブームと言われた世代で、大学受験は厳しかったです。

今だと、定員割れしている大学もあるようですが・・・少子化ですからね。

といっても、20年以上も前の話ですが、でもこの時の経験がやはり今の私の姿だと思います。

以前も話しましたが、自分の自由になるお小遣いがほしいので、バイトに明け暮れました。

24時間営業のファミレスはあの時はたくさんありましたので、夜のシフトにして、元々夜型ですから、別に夜シフトで稼げるのは助かりました。

結局このファミレスのウエイトレスは、大学4年間続けました。

バイトは22時から5時まで、それから学校ですが、大学の授業は昼からの時もあったので、少し寝てから、大学に行きました。

大学は、うちの近くの始発から終点ですから、電車の中で仮眠もできます。

大学は一単位8回まで休めたので、計算にいれて、休みましたが、掲示板で張り出されるんですよね。あと、この人、単位アウトみないな。

掲示板の有名人でしたが・・・

次第に、アルバイトでも店のレジ締めをするようになり時間帯リーダーを任せられ、時給もどんどん上がっていきます。

学校があるときは、月に15万円稼ぎ、夏休みの長期休みになると、20万円以上稼いだこともあります。

ファミレス全盛期、人手が足りないんですよね。

だから、夜の18時にシフトインして、朝の9時に上がったこともありました。

お金が貯まり、大学の友達とどこか海外旅行に行こうという計画が出て、大学1年の冬だったと思います。

アメリカ西海岸にバッケージツアーで行くことになりました。

もちろん海外は初、ワクワクです。

カルフォルニア、サンフランシスコ、ラスベガスの旅は最初の海外旅行です。

その後もいろいろな国に行きました。

毎回同じ友達ではないんですよ。

友達にどこどこ行きたいっと言われると私は、じゃーそこ行くという感じで。

とにかくいろいろな国に行きたかったんです。

高校の時に、世界史を選択して、あの世界史の資料集みたいな歴史ある所を間近で見たいと興味津々です。

大学から社会人になるまで、いろいろな国に行きました。

数えたことないから、数えてみます。

1. アメリカ(カルフォルニア、サンフランシスコ、ラスベガス)大学の友達と

2. アメリカ(ニューヨーク)父と一緒に

3. カナダ 英語留学

4. フランス(3回) 小学校の友達、高校の友達、大学の友達

5. イギリス(2回) 高校の友達、一人旅

6. ドイツ(2回) 小学校の友達、大学の友達

7. オーストリア ひとりでパッケージツアーに参加

8. ベルギー ひとりでパッケージツアーに参加

9. ルクセンブルグ ひとりでパッケージツアーに参加

10. オランダ ひとりでパッケージツアーに参加

11. ギリシア 卒業旅行

12. トルコ 卒業旅行

13. エジプト 卒業旅行

14. オーストラリア 小学校の友達

15. インドネシア(バリ島)

16. マレーシア バイトの友達、一人旅(タイに住んでからビザ取得のため)

t17. シンガポール バイトの友達

18. インド(2回)一人旅1回、大学の友達と1回

19. 台湾 一人旅

21. ハワイ(アメリカ)高校の友達

22. サイパン 教え子と

23. タイ(現在在住)初めは義理の姉と

 今まで行った国は、合計で23カ国ですね。

「借金してでも旅をしろ」

貯金はありませんが、しっかりと財産になっています。

人格形成、物事を広い視野でみようなど、旅はハプニングつきものですから、当然、私もいろいろやらかしましたよ~

問題解決能力は養って、強くなったと思います。

ただ、経営者としての精神力など、まだまだ、身につけなくてはいけない課題だらけです。

興味のある人は、こちらのサイトも覗いてみてください。

私が行った国の体験談を掲載しています。

コチラ⇒http://航空券-ホテル価格.com

 

 こんな感じで、海外で仕事をしたいという野望があり、英語はできないので、アジア圏で海が見られるのんびりした所がいいということで、バリ島とプーケット、迷ったのですが、治安のいいプーケットに海外移住を決めたのが、29歳のときでした。

16年間住んで、いろいろありましたね~

プーケットが私の居場所ですね。